日時:2016年3月17日18:30~
場所:東京国際フォーラム東天紅
卓話講師:メキシコ五輪バレーボール銀メダリスト小泉勲さん

 河野さんの開会の挨拶で3月例会が始まりました。
 今回の講師は中大バレー部OBでメキシコ五輪銀メダリストの小泉勲先輩。河野さんのお話によりますと小泉先輩の頃は中大バレー部の黄金期だったそうで、全日本より中大の方が“強い”という噂もあったとか。河野さん、中大バレー部OBで久々に木曜会に出席の石井さんを講師紹介者として突然ご指名!石井さん、少~し慌て気味に小泉さんを紹介してくださいました。小泉さんは中大バレー部OB会会長でありオリンピック出場者の集まりである『日本バレーボール・オリンピアンの会』の理事長も勤められているそうです。OB会会長として会員と共に中大バレー部のサポートもされているとのことです。

 小泉先輩「昭和43年中央大学バレーボール学部バレーボール学科卒業」と自己紹介(笑)。ホントは経済学部経済学科卒です。お話をされる時、物事を3つに分けてお話しされているという小泉さん「古くは“呑む打つ買う”…。」と仰る、皆さんがスルーされたので、私は仕方なく下を向いて「クックックッ」と笑いました。

 小泉さんの“3つの出会い”バレーボールとの出会い、そのバレーボールの指導者との出会い、そして日本鋼管入社、それが人生を決定する出会いだったと話されていました。バレーボールの指導者、中大杉並での中村四郎先生、中央大学での橋本篤治監督、全日本の松平康隆監督この3人との出会いは中でも大きな“出会い”だったと。中村先生は日体大の体操部の出身でバレーボールの指導というよりも「運動部の選手を強くするにはどうするか」を考える人、手甲に鉄線を巻いた物を選手に作らせそれを着けて練習をさせたと。心の中で「ダイリーグボール養成ギブスや~!」と叫んでいました、私。橋本監督には戦術を練る時「敵を知り己を知り、自分の頭で考える」ことを、松平監督には高さ・力・技にまさる海外チームに勝つ為の「コンビネーションバレーの重要性」を教わったそうです。コンビネーションバレーは中大バレーの基本でもあったので、当時、全日本は12人中6人が中大OBか現役の中大生だったということです(ビックリ!)。

 日本では東京五輪に向けて9人制から6人制に、国際的には東京五輪後オーバーネットの反則がなくなる等のルール変更があったバレーボール。センタープレイヤーでブロックが得意だった小泉さん、2年次から中大のレギュラーに。同時に全日本にも選出!

  全日本メンバーとしてメキシコ五輪に備えたヨーロッパ遠征のさ中、チェコスロバキアとオーストリアの国境近くの町チェスケー・ブジェヨビツェに滞在していた時『プラハの春』の発端となったワルシャワ条約機構軍の侵攻に遭遇し、チーム全員大急ぎでチェコスロバキアを逃げ出したという話は“歴史の目撃者!”と思ってちょっと興奮しました。迎えた“金メダルを取りに行った”メキシコ五輪、3セット目まで優勢だったチェコ戦、途中まで「ヤポン!ヤポン!」と日本を応援していた体育館内の観客全員がチェコチームの応援にまわり、あれよあれよという間にセットを奪われ“金”を逃し銀メダルになってしまった…そうです。心・技・体の“心”の大切さを感じるお話でした。

 国際オリンピック委員会第5代会長ブランデージ氏とのエピソードも小泉さんの人柄を偲ばせるお話でした。札幌五輪の視察旅行中『日本リーグ・ブランデージ杯』を観戦したブランデージ会長、日本鋼管対松下電器戦で審判が気付いていないにも拘らず手をあげてミスを自己申告した小泉選手を見たそうです。小泉さんの行動に感銘を受けたブランデージ会長は、後年その著書『近代オリンピックの遺産』の中で小泉さんを「彼こそ純粋なアマチュア精神であり、スポーツマンの鑑である。」と讃える文章を書き残しています。「メキシコ五輪の“銀メダル”よりも大きな財産です。」と仰られた小泉さん、今でもすばらしいスポーツマンです。お話ありがとうございました。

 小泉さんに講師を依頼してくださった石村さん、紹介してくださった石井さん、ありがとうございました。

※小泉勲さんと嶋岡健治さんの対談が学員時報3月25日号に載っています。是非、お読みください。

【木曜会・柳】