日時:3月21日(木)18:30~
場所:国際フォーラム東天紅
福田幹事長の「本日は松本彧彦先輩の2度めの講義です。まずは会長の挨拶から。」に続いて河野会長の挨拶。
河野会長挨拶:今日、3月21日は3+2+1=6で6年間お世話になったランドセルに感謝する日だそうです。僕がランドセルしょってた頃は日本がまた戦争するなんて想像もできませんでしたが、今、ウクライナにパレスチナ、争いが本格化したら世界が巻き込まれることになり兼ねない。台湾情勢も大変気になるところです。そこで丁度1年ぶりに松本先輩に台湾についての講義パート2をお願いしました。松本先輩、宜しく。
拍手で松本先輩をお迎え。
松本先輩「去年、2度目があるとは言われてましたが、ホントにありました(笑)。」と始められました。
◇◇◇◇台湾講義4つの観点から◇◇◇◇
①地勢学から
・習近平が頻りに“中国統一”と言う理由
中国本土から見た時、台湾は太平洋に出る為の非常に重要な拠点となる。中国政府はどうしても台湾を支配下に置きたい。これは尖閣諸島も同じ。どちらも中国の領土としたい。
・台湾側はできれば穏便に台湾政府を維持したい。
過去には1958年中国共産党と蒋介石の国民党が金門島の争奪で戦った金門島事件があった。国民党は台湾島の防衛には金門島の存在が不可欠と考え、本島から200キロも離れている金門島を死守。金門島には60万発の砲弾が撃ち込まれたと。この砲弾を材料にした包丁が金門島土産になっているという事実も。
・習近平政権になってから増々台湾を中国とする動きが強くなり、今年3月には中国海警局の船が金門島近くの『禁止水域』を航行、警備を強化した台湾沿岸警備当局から逃れようとした中国漁船が転覆し死者が出、中国は金門島付近で海警局によるパトロールを常態化させている。
②歴史的背景
・1945年の第二次世界停戦の終結と共に50年続いた日本の統治が終わり、そこに蒋介石の国民党が入ってきた。1894年の日清講和条約締結から日本が台湾を割譲し、武力による抗日運動や1930年の霧社事件(前回、松本先輩が講義)等も起きていたが、台湾は50年日本の統治下にあった。
・1945年当時は台湾人の国民党政府に対する失望感が強く“犬(日本)去りて、豚(国民党)来たる”等とも言われた。
・日本の統治下で台湾はインフラが整備され、ダムや鉄道の建設が進んだ。これらの建築物は未だに使われ続けている。
③価値観
・国民党政権下で権威主義体制から自由主義体制へと徐々に移行してきた台湾。2000年民主進歩党の陳水扁が総統選挙に勝利し政権交代が実現し民主主義国へ。
・西側諸国は台湾を対中国の観点から重要視している。
・中国の“一つの中国”をめざす動きを、台湾は香港の現状を目の当たりにしており、一国二制度を信用できない。警戒している。
・台湾の人々は今の自由主義体制を維持したいと思っている。
・中国との関係悪化を心配する松本さんの問いかけに台湾の人々は「同じ民族だから戦争まで発展することはないと思っている。が、もし侵略をうけるような事があれば自由を守る為に戦う。」と答えたと。
④国民的交流
・日本と台湾は1972年の国交断絶以来、正式には国交が無いが民間では、1972年断交直後から日本側は日本台湾交流協会、台湾側は台湾日本関係協会を設立し交流を続けている。
・国交は無いが、災害が起きた時はお互いに助け合ってきた。1999年の台湾大地震では日本が、2011年の東日本大震災では台湾が迅速な援助をし、コロナ禍には日本が台湾にワクチンを提供する等数々の助け合いの歴史がある。
・東日本大震災への援助に感謝し、松本さん達が発起人となって与那国島から台湾の蘇澳まで6人の青年たちが泳いで渡った『日台黒潮泳断チャレンジ』も行なわれた。
以上の4つの観点から日本と台湾とは時代背景や政治情勢から敵対、支配、断絶とその時々によって立場を変えてきたけれども、現在、国民間の関係性は決して悪くない。この関係を維持、強化することが中国からの“統一”圧力に抗する助けに、悲惨な一歩を踏み出させない為の抑止力になるのではないかと、松本さんは台湾の講義を締め括られました。
松本さん:私が台湾に頻繁に行っていた頃は台湾は所謂“男性天国”と言われてて、男の知り合いからは意味ありげに「松本、お前よく台湾行ってるなあ。」と揶揄われ、妻からは「行ったら“お父さん”とか言って駆け寄ってくる子供がいたりして。」と言われ、誘っても台湾には行ってくれませんでした(笑)。
全員で“ありがとうございました” と拍手。
◇◇◇◇暫し歓談◇◇◇◇
相馬さんの「私、来月、また台湾行きます!これからだんだん暖かくなってきます。春を待ちながら皆さんで乾杯しましょう。乾杯!」の挨拶。え~また行くのぉ? の声があり乾杯の声が続き、グラスを合わせる音の後、拍手、そして皆さん楽しいお喋りの始まり。
◇松本先輩の写真◇
松本先輩、頼清徳氏との20年ほど前と今年との2枚の写真を廻し「彼、この時は台南市長でしたが、総統になりました。お互いに年を取りました(笑)。」
◇重役福田さん? の話◇
「今日は都合があって車なんで、アルコールはダメなもんで。」という福田さんに「偉くなったんだから運転手付きとか。」「いやいや中小企業なもんで、こき使われてますよ。」「またまたぁ。」「いやいやホントに。」笑。
◇楽楽精算の話◇
「会社で楽楽精算取り入れたから、皆やってる。」「中々大変じゃない?」「そうそう、年寄りは四苦八苦!」「全然、楽々じゃないとか言いながら。」「それ!」笑。
◇ゴルフの話◇
「ゴルフ、お金持ってる人はできる(笑)。」「それは偏見、偏見。」「今日、ゴルフやってきたの。」「この風の強い中⁉」「そこまで影響無かったよ。」「若い頃はシングルに手が届きそうだったんだけど。スコアもアップダウンが激しくて。仕事と同じ(笑)。」「うち、奥さんと廻りますよ。」「ケンカになりません?」「ならない。」「しなきゃいいのにアドバイスなんかしちゃって、怒らせるとかないの?」「アドバイスしない。そういうことはキャディーさんに任せる。」「それは賢い!」
◇日帰り旅行の話◇
「澤乃井の日帰り旅行、男性方、帰りにスーパー銭湯へ行かれましたよね。」「はいはい。澤乃井、ちょっと飲み足りなかったし。で、お風呂入ってアルコール抜いて、二次会で飲み直しって!結構飲みましたよ。」「二日酔いだったとか?」「そこまで飲んでない…次の日グッタリだったけど(笑)。」
◇去年の山梨の話◇
河野会長が福田幹事長と話しに来たタイミングで境さんが。「旅行と言えば、去年いつだったっけ?」「6月です。」「あ、6月。今年もそろそろ?」「一応、今年も6月を予定してます。」「去年は…あ、山梨行ったね。」「そうそう、河野会長の故郷!」「河野さんが山梨を知らなかったで有名な(笑)山梨旅行ですね。」周りはクスクス。河野さん「いやいや、行ったことない所ばっかりだったから。でもほら、おかげさまであれで山梨知ったから。」周りはアハハハ。「お幾つまで山梨に?」「15まで。その後、懲役刑くらいましたから。懲役50年!」「じゃあまだ入ってるじゃないですか!」周りはゲラゲラ。
◇◇◇◇締め◇◇◇◇
福田さん:宴もたけなわではございますが、そろそろ締めのご挨拶を嘉本元会長に。
嘉本さん:え~、乾杯と締めの挨拶要員、嘉本でございます。―(笑)―台湾の歴史、日本との関わりが分かって勉強になりました。また是非、先生にお話を、パート3をお願いします。―後、5回はある!(笑)―今日はありがとうございました。
皆さん、握手。
福田さん:毎年、南甲倶楽部の懇親会と被る5月例会ですが、今年は被らないので16日が例会です。その前11日ゴルフ会があります。一泊旅行は6月です。楽しくお酒を飲む会なので、是非、皆さん、ご参加ください。今日はありがとうございました。それと、名札だけは―笑―お返しください!
いつもの声に送られながら、散会となりました。
この記事をまとめている間の4月3日に台湾でマグニチュード7.2の地震が起き、長引く“震災後”を心配しましたが、インフラの復旧も避難所の設営も迅速でした。台湾はあの1999年の地震を忘れず、次の天災に備えていました。“1999年の地震の時に日本がした援助を忘れず、東日本大震災の時も能登半島地震の時もいち早く援助の手を差し伸べてくれた”との松本先輩の話も思い出しました。松本先輩、ありがとうございました。
(木曜会・柳)